| 注1: |
詳細に論じる事は本論の範囲を超えているが、
このあたりの事は本論が目指している立場からすると、
モダニズムに端を発した現代建築思潮を批判する為に非常に重要な研究課題であると思っている。
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| 注2: |
本論で「表象」となっているところは、最初は「記号」と書いていた。
しきたりや規範を備えた時代の<継続>性、それを担う人々の共同性・共通性、
そのもたらす共通気分が建築意匠を通して体感され得るような状況下においては、
人々に共通してもたらす情動的なものをシニフィエに見立てて、
建築を広義の「記号」と呼びうると考えた。
しかし「記号」と書くと、一般には「壁に付いた山椒魚のマークは‥王家の事である」
というような、非常に単純で平板な記号の対応関係を連想しがちなので、全て書き換えた。
また、そもそも、人々が感情を「投影」するきっかけを記号と呼びうるのか、それも微妙だと思った‥‥。
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| 注3: |
ヨーロッパ建築の歴史において、
建築家が自らの<個人的な>芸術的霊感に基づいて活動するようになったのはルネサンスからである。
「選民意識」は既にこの時用意されていた。
しかし、19世紀に到るまで、建築家は<様式>によって人々の意識との繋がりを保ってきた。
現代の建築家には、それに匹敵するような人々の意識との繋がりを保証するものが無い。
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| 注4: |
折衷・混淆を通じて、
如何にして人々の「特定の意匠に結びついた生活実感・記号的意味」が新たな形態に伝わり、
また創発されてゆくか、そのプロセスを現象学的に辿って明らかにすることにより、
建築家の狭い見方による批判を乗り越える可能性があるのではないかと思っている。
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| 注5: |
これに関連して、今回調べられなかったが、
伊東忠太は震災記念堂(30)や築地本願寺(34)によって、
新しい素材・構法と日本文化をつなぐ試みを行っていた。
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| 注6: |
それでも、戦後に似たような建物が建った例として、
これは日本ではないが台北の中正紀年堂(80)(写真下)を挙げる事が出来る。
中正紀年堂と京都市美術館は共に、有志の寄付がベースとなって建てられ、
特定の人物に対するメモリアルな建物である、という共通性がある。
過去からの継承を表すために人々が望んだ両建築の形には、
期せずして意匠的な類似性があるように思う。
共に外壁の立上げ方に大陸的なものが感じられる。
気になっていたのでここに挙げておく。
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| 注7: |
本論文中、「記号」「記号」と書きすぎた気がして実は反省している。
というのは、「記号」と書くと何か有徴で(つまり目立って)、
特別の意味を匂わせる何か変ったもの、というニュアンスで受け取られる可能性があるからだ。
私はそういう意味で「記号」と言っているのではない。
そうではなくて、ここでは、生活意識の中に溶け込んで知らず知らずに深い意味性を我々に
与える、生活背景的なものを意味させようとしている。
最近「偽装するニッポン」(中川 理著)という本を読んだ。その中で、バブル期を挟んで
日本全国で建てられたおとぎ話的な "偽装した" 公共建築を何度も「記号」と呼んでいる
のに出くわした。それも「記号」であるが、ここで言う「記号」と全く意味が違う
ので間違わないで欲しい。その本にも書いてある通り(P.115)、京都市美術館
と偽装した城郭建築は全く別物である。
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