建築家と語る:仮想鼎談「様式対幾何学」
<概要>18世紀と19世紀の建築家、
エチェンヌ・L・ブレーとH・ラブルーストが現代を見ていたら何と言うだろうか?、
というのがこの仮想鼎談のテーマです。
ブレーとラブルーストを知らない人のために最初にちょっと紹介的なやりとりがあります。
内容はかなり強引ですが、何を言わせたかったのか?というところを汲んで頂ければと思います。
本論は1ページにまとめてありますから、転送スピードの遅い方は、
画像ロードの後に電話を切ってゆっくりお読み下さい。
約6300字あります。
登場人物: エチェンヌ・L・ブレー(1728-99)
代表作: オテル・アレクサンドル(1766-68)
ニュートン記念堂計画(1785頃)
H・ラブルースト(1801-75)
代表作: サント・ジュヌヴィエーヴ図書館(1843-50)
国立図書館増築(1862-68)
(前置き)
鼎談の行われたのは、とある降霊術師の部屋である。
ブレーとラブルーストは霊として呼び寄せられた。
彼らは、死後も現在に至るまでの経緯を見て知っている。
私:
早速お伺いします。
ブレーさん、あなたのニュートン記念堂計画(写真)のもとになった考え方について教えて下さい。
ブレー:
ニュートンこそは、我々が秩序と法則の世界に生きている事を真に解き明かしてくれた恩人である。
自然の秩序は偉大だ。建築も亦、この自然の秩序を反映して作られるべきなのだ。
私は生涯かけてこれを追及した。
ニュートンはその原点だった。
だから私はそれにふさわしく、最も壮大なモニュメントを提案した。
そしてあの球は、直方体などと共に自然にある最も純粋な形態であり、
宇宙の秩序を示すものなのだ。
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ニュートン記念堂計画 「新建築学体系5」より |
私:
当時ロージェは「原始的な小屋」について語り、建築の本質について論じましたね。
ブレー:
そうだ。
ニュートンにより宇宙の本質が問われ、ルソーが社会の成り立ちを追及したように、
建築も亦その本質から考え直そう、という機運が生まれていたのだ。
だがロージェはあくまで古代から受け継いだ形に固執して、
それ以外の可能性には思い至らなかった。
しかし、建築が表すべきものは自然の秩序であり、それは人為的な形や装飾を越えたものである。
私:
分かりました。ではラブルーストさん、
国立図書館(1862-68)(写真)を作った背景と考え方を教えて下さい。
ラブルースト:
私はジュヌヴィエーヴ図書館(1843-50)の時から鉄とガラスを建築に使う事を試みておった。
当時建築家達は、建築と言うと石を使うと頭から決めておった。
確かに1000年以上、我々は石、そして安くても煉瓦で建物を作ってきた。
しかし18世紀には錬鉄の製造が始まり、1832年にはガラスが大量生産された。
鉄とガラスを使ったパクストンの水晶宮(1850)を知っておるであろうが。
このように技術者はますます新素材を使いこなすであろう。
私は如何にして建築(すなわち過去の様式の美しい形をそなえた建物)を、
新材料を交えながら作ることが出来るか、早く試さねばならぬと考えておった。
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| パリ旧国立図書館閲覧室 |
国立図書館の増築で一番目を引くのは閲覧室の柱であろう。
鉄を使うとあの細い柱で、あの高くて広い部屋が易々と作れるのだ。
確かに様式の持つ美しさは石という素材と共に発展した。
しかし要は各素材の組立て方次第で、様式の美を継承した空間が作れるのだ。
肝心かなめなのは、構造がそのまま美につながるような作り方である。
私:
当時、非難もあったのではないですか。
ラブルースト:
石でなければ建築ではないと言う石頭が沢山おった。
例えばシャルル・ガルニエじゃ。彼は古いものを繰り返す事しか考えん男だった。
おまけに彼のオペラ座だが、一応はよく出来ているもののファサードはゴテゴテし過ぎておる。
私:
ありがとうございました。
ではブレーさん、あなたは19世紀に入る寸前に亡くなりましたが、その後をどうご覧になりますか。
ブレー:
わたしが亡くなる頃は激動の時代であった。
革命の劣政の中からナポレオンが登場し、やがて反動、そしてナポレオン3世・・・。
建築は為政者の好みで変わるし、相変わらず過去の建築様式を反芻しておるだけである。
私:
そうはおっしゃってもブレーさん、
あなたにはルドゥー(1736-1806)のような後輩も居ました。
あなたは19才の時から教鞭を取られ、
デュラン(1760-1834)のようなお弟子さんを輩出されたではないですか。
彼はブレーさんの影響を受けて大胆な方形平面の扱いで、
純粋形態と平面の合理性を統合しようとしました。
それはシンケル(1781-1841)にも影響を与えました。
彼のアルテス・ムゼウム(1824-8)に見られる合理的な平面とシンプルな形態は、
あなたの理念にまで遡る事ができるのですよ。
ブレー:
そう言ってくれるのは嬉しい。
しかし19世紀を見ておると、時代は新材料に移っていった。
鉄とガラス(そして後には近代コンクリート)・・。
時代はどんどん新材料に移って行って、
私が石を使って追及してきた純粋形態への思いなぞ吹き飛ばしてしまいそうだった。
こうなったら、私は新しい素材でどんな形態が出来るかとことん見ておこうと思ってな。
石は確かに美しい素材だが、しかし考えようによっては、
もう何百年もの人々の様式への観念が染みついておる。
人為的な形、例えばギリシャの円柱から石は離れる事が出来ないのだ。
私:
ラブルーストさんは、様式表現と新材料を組み合わせようとなさったのですね。
ラブルースト:
さよう、私の立場はブレーさんとは異なる。
私はサント・ジュヌヴィエーヴ図書館で、
鉄の構造体とネオルネサンス様のファサードを組み合わせた。
人々の思いが石に染みつくのには、それなりの訳がある。
たとえ鉄の時代がやって来るとしても、
そこにはそれまで人々が様式の美しさによって涵養されて来たのと
同じ種類の美しさが用意されていなければならないのだ。
ブレーさんの言う純粋形態は大変分かりやすいし、
美しい考え方だが一つ忘れておる事がある。
カントも言うではないか。「わが上なる星空と、わが内なる道徳律」と。
あなたは上なる星空、つまり自然にのみ目を奪われて、
人間の認識的営為が何を必要としているか忘れておる。
私:
ラブルーストさんの言う認識的営為とは何でしょう??。
その前にまずブレーさん、新材料には可能性がありそうでしたか?。
ブレー:
水晶宮(1850)のような無骨な建物を見ても、
何がしかの取り柄としての形態のシンプルさはある。
しかし鉄骨はあばら骨のようで、ちっとも美しいとは思わなかった。
つまり私には石以外の素材はとても考えられなかったのだ。
そんな私が最初に目を見張ったのはエッフェル塔(1889)(写真)である。
重いはずの鉄が、見事にシンプルないでたちで300m以上もの高さにすっと立っておる。
何でも、あれは風に抵抗する為の合理的形態であるそうな。
あのカーブは方程式から生まれたという。
自然の性質からそのままあの形が生まれたのだ。
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| エッフェル塔 |
ラブルースト:
あなたのニュートン記念堂計画が地面に抵抗する理想的カーブだったとはとても思えませんがね。
まあ良い、私の結論を言おう。
後世の建築家は石を鉄やガラス(そして近代コンクリート)に置き換えたが、
それまであった建築の美を、殆ど何一つ継承できなかった。建築は荒廃した。
私:
ラブルーストさんが荒廃とおっしゃっているのは19世紀後半の建築的状況を指しておられるのですか?。
それとも20世紀に入ってからの事ですか。
ラブルースト:
両方だ。19世紀後半には、建築家は鉄の使用法をろくに考えもせず、醜いものを建てた。
レ・アルの屋内市場(1853-57)は鉄骨で出来ていて、
実用性しかないから美しくなぞなくて良い、と言わんばかりの建物だった。
美しくない事を隠す為に、鉄を手がける建築家は更に装飾に凝りだした。
プランタン百貨店(1881)(写真)を見なさい。
これは当時のアメリカ的な露骨な商業主義を臭わせる実に醜い内装だ。
やがて、装飾を逆手にとったアールヌーヴォーが現れる。
新しがり屋の建築家達は、「これでルネサンスだのゴシックだの、
様式に縛られずにものを作ってよいのだ」と考え始めた。
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プランタン百貨店(1881) 「エッフェル塔試論」より
(装飾が少しでも見えるように大きい画像にしました) |
私:
当時の安っぽくてケバケバしい装飾に対する辛辣な批判が、
やがてA・ロースやコルビュジェから出ました。
(尤もロースの敵はアール・ヌーヴォーだったようですけど。)
そしてやがて20世紀の機能主義的な流れが出て来て・・・。
ラブルースト:
ちょっと整理させて欲しい。20世紀前半の前衛建築家が非難したのは様式か装飾か?。
19世紀から20世紀にかけて、
フランスを始めとするヨーロッパには意味もない装飾があふれ返るようになって、
じめじめして暗い壁式の住居があった。これは事実だ。
彼らがそれを非難したのは時代の文明に合っていて正しい。
しかしついでに様式も不要だと考えたのは彼らの不幸だった。
様式を捨て去る機運は、全て<鉄>と<近代コンクリート>から来たと思う。
(しかも<鉄>は錬鉄ではなく鋼鉄になったが。)
つまりアールヌーヴォーだの機能主義の四角い箱だの、
新素材による新しい表現・構造表現が出来てしまったから、
それで事が済んだと(つまり過去のものはもう要らないと)早合点したのだ。
わしは存命中、材料の変遷の中で様式建築をどう受け継いで行くか考えておったのだが、
世の中の流れを見ると、結局次の時代に見合う(経済合理性も含めて)
回答は見いだせないまま来てしまった。
それは非常に不幸な事だった。
古代ギリシャ神殿が木造から石造に代わるのに何百年もかけたのに、
30年やそこらで新材料に変わろうとしたのだ。
ブレー:
ちょっと待って欲しい!。
私は18世紀からずっと人為的な形態(様式も)にこだわる必要はないと言い続けてきた。
新しい素材、新しい時代に入るのにどうしてそんなに様式にこだわるのかね。
私:
これは失礼。ブレーさんを置いてけぼりにしてしまいましたね。
ブレーさんから見て20世紀はどんなに見えましたか。
ブレー:
私の心境たるや言い尽くせない程複雑なのだ。
20世紀は神など居ないと公言する悪魔の時代だ。
私にとって自然とは、究極的に神の摂理の世界であり、建築もそれに奉仕するものであった。
なのに20世紀には誰も神など恐れぬ。結果は何か?。2度の世界戦争だ。
私はこんな世の中など絶対見たくなかった。
なのに一方で、建築への執念は変わらなく私の中で燃えている。
私は魂を悪魔に売り渡した気分なのだ。
悪魔の世界の建築を語るためには悪魔に魂を売り渡す必要があった!。
さてさて、話を戻そう。
私は20世紀初頭の前衛建築家の建物に2つの特徴がある事を発見した。
一つは機能主義だ。目的に応じた機能を中心に合理的に作ると、
それが必然的に美しいという考えだ。合理性というのは理性の法則である。
自然の法則が美しいように、目的に沿った合理性はそれ自身で美しいと私も思っている。
二つ目は構成主義という美学だ。機械という科学の(いや悪魔の)
申し子である文明社会を表現するのに際し、建築家達は構成主義を選び取った。
もともと構成主義は神の神秘性を表現しようとするマレーヴィチのシュプレマティズムから来ている。
それが時代の合理性の表現にぴったりだったとは皮肉な話だが、
とにかくあれは彼らなりの純粋形態への憧憬(悪魔の純粋形態!)を示している
(コルビュジェのラ・ロッシュ邸(写真)を参照)。
モダニズム以降、純粋形態に基づく造形が多く現れた。
ある意味では私はこんな時代に生まれたかった位だ。
建築を根本から捉え直す純粋形態は美しい。
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| ラ・ロッシュ邸 |
ついでに第三の特徴を言おう。それは構造合理主義だ。
これは先程から様式々々と繰り返しておられるラブルーストさんから出たものである。
あなたの影響を受けたル=デュク(1814-79)という男がゴシックを
研究しながら言い出した言葉だ。
ラブルースト:
確かに鋼鉄とコンクリートの組み合わせからドミノが出来て、
それなりの構造合理主義にはなっている。
しかしそこには何の魂も入っていない。
魂というのは最終的には建築家が入れるものではなく人々が入れるものだ。
(或は魂が入るにふさわしい建物を建築家が作るのだと言ってもいい。)
お分かりかな?。
ではここで、なぜ様式が大切だったのか、お話しよう。
そもそも様式が生きていた時代には、人々は様式とともに生活し、
様式とともに生きてきた。
様式というのは時代と人々の要請があったところに生まれたものだ。
人々の時代意識、時代精神と共にあったものだ。
「様式」には人々と共に育った経緯があってそれが人々の意識の中に生きている。
建築というのは、ただ単に意匠をうまくやれば良いというようなものではないのだ。
人々の生活の心が預けられるものである事、そして意匠的に優れている事、
この2つの統合が建築なのだ。様式はこの2つの統合であった。
しかるに私が死んだ後の歴史の動きはどうだ。
あまりに材料の変化が激しかった為に、技術者や建築家は人々を置き去りにして、
自分勝手に新しい形を考え始めた。
技術や意匠だけ先走ろうとすると、真に建築を成り立たせる要件の半分しか成り立たない。
人々の意識とともに育たない建築には魂が宿らない。
構成主義は人々の求めた建築の<かたち>ではなく、建築家が勝手に悦に入っているだけの事だ。
C某の作った「白い箱」は人々にとって住み家に<見えない>。
(現在最も有名なサヴォワ邸が、改修前は家畜飼料小屋になっていたのをご存知か。)
そして、周知のように新しい建築家は過去からの断絶をむしろ売り物にしている。
過去の豊かな意味を持っていた建物を排除し、自らの建物を国際様式と名付けおった。
人々を置き去りにした態度は、建築家の傲慢だ。
人々を顧みずに自らの創造性だけに頼るのは建築家の選民意識だ。
これは私を含めルネサンス以降の建築家の悪いところだが、
それでも昔は様式を通じて人々の生活意識との繋がりがあったのだ。
今はそれを断ち切ろうとしている。
あたかもそうすれば建築の独り立ちが出来るとでも言わんばかりに。
そのような行き方は、やがて人々に飽きられ、建築としても衰退して行くしかない。
そして今まさに衰退しつつあるではないか。
私:
それが、ラブルーストさんの言う「人間の認識的営為」だったのですね。
尤も、私には、いつまでが「様式が生きていた時代」だったのかという点が気掛かり
ではあるのですが・・・。
ブレー:
ラブルーストさんは様式々々とおっしゃるが、エッフェル塔は美しいと思わないのか。
様式と関係ないところで、人々に親しまれる建築物が出来ておるではないか。
最近では例えばグリニッジのミレニアム・ドーム(写真)を見てご覧なさい。
石でないからあの<軽さ>は何ともしがたいが(<軽さ>がこの悪魔の世界ではもてはやされておる)、
それでもシンプルな形態の美しさをあのスケールで表現し、人々にも愛される施設となっておる。
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| ミレニアム・ドーム |
ラブルースト:
辛辣なことを言うようだが、神無き時代の純粋形態は、その魂も失っているのではないのですか?。
ミレニアム・ドームはともかく、
エッフェル塔はあの形態があってこそ人々に愛されるようになったから、私もその意義を認める。
私:
エッフェル塔の秘密の一つは、あれが無用の長物だという点にあると思います。
特定の機能に従属していないから、人々のイメージの中で何にでもなり得るのです。
さて今までのお話をまとめると、建築に対し人々が何を投影するかが問題だと思います。
ラブルーストさんの言われるように20世紀後半の(文明国の)人々は、
多かれ少なかれ国際様式によって建築から<疎外>されたように思います。
そんな中で尚かつ人々は建築に何を投影し続けているのか、
そしてこれから何を投影するのか、それを私は知りたい。
それは恐らくこれからの建築の生命線と言えるでしょう。
力強い建築がどうやったら戻ってくるのか、その秘密は建築家ではなく人々が握っているのです。
これからの時代では、人間の眼に見えない無数のコンピュータ端末間の通信ネットワークが、
エッフェル塔に代わるような巨大な記号=力=原理=制度となるかも知れません。
そんな時代に、どんな建築の未来があるのでしょうか。
一方、ブレーさんはある意味で、もうこの建築世界とまともに付き合っておられない。
<悪魔>に身を売った時点から、本当の痛みから、悪魔に鎮痛剤をもらってしのいでおられるようです。
実は、そうやって疎外の痛みを麻痺させて未来や形態について軽く語る建築家が、他に沢山居るのです。
いえ、ブレーさんのお気持ちは察しますよ。
でもこの私は悪魔の鎮痛剤なしでやってゆきたいのです。
今夜は遅くまでどうもありがとうございました。
<おわり>
本稿(原稿部分)の著作権は、全て本HP管理者に帰属します。
参考:
「ヨーロッパ建築史」西田雅嗣、1998、昭和堂
「新建築学体系5 近代・現代建築史」、1993、彰国社
「エッフェル塔試論」松浦寿輝、1995、筑摩書房
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