「様式」の時代と現代
<解説>
この小論では、「様式が生きていた時代」というものを歴史上に想定し、
そこから現代を照射することで、現代の建築的状況をあぶり出そうとしています。
これは私が過去に書いた帝冠様式を見直すや
建築家と語る:仮想鼎談「様式対幾何学」
で暗に追及していたテーマを総決算的にまとめたものです。
本文中には、これら2つからの引用も含まれています。
(2001年12月)
学生の方に申し上げますが、本稿には著作権があります。
これを写すならちゃんと出典を明記して下さい。
尚、本論の引用により成績が下がっても、当方は全く関知いたしません。
目次
1.プロローグ
2.ここで言う様式とは何か
3.人々の側からの関与
4.様式の時代の考察
5.現代の様相
6.まとめとこれからの発展
私が大学に入学した頃、多くの教官が「建築は今転換期だ」
「今行き詰まっている」と語っていた。
その行き詰まりには建築学という学問の事や業界的な事が含まれている訳だが、
デザイン的にも行き詰まりなのは明らかだ。この辺の事情を、
建築関係者ではない人に語らせたいと思う、
一般の方から頂いたメイルに以下のように書かれていた。
-
・・・個人的には例えば「明治村」のように「平成村」というのを作ったとき、
後世に残すべき名建築というのははたして存在するのだろうか?、
という思いがあります。・・
このあとこの人は東京都庁舎に触れ、
「・・・でも後世に遺すべき風格をそなえた建築とは言い難いような気もします。」
と結んでいる。印象に残る建築や力強い建築が作れないのはなぜだろうか?。
これは単に技量の問題ではない筈だ。
この問題を考えるに当たって、現代建築家の発言の中に、
建築家でない一般人の感性に対するある種の「あきらめ」や
乖離がある事が私には非常に気になっている。
一般人の感性を抜きにして建築家だけが議論すればよいという考え方や風潮に、
一つの限界があるように感じるのだ。この事は5章で再び触れる。
現代というものの特質を考えるに当たり、回り道に思えるかもしれないが、
ここではまず現代と「様式」の時代の比較という事を行ってみたい。
近代モダニズム以前は、世界のどの民族・地域においても建築(住居も神殿も含め)は
「昔からこうやって作ってきた」というものであった。
土着の材料や構造技術から生まれていたそれらの建築は、
過去からの継続性があった。その意匠や建築としてのあり方は、
生活の重要な一部であった。わざわざ意識はしなかったかもしれないが、
それでも人々はそこに安心して心を預ける事が出来、
また生活感情を投影する事が出来たのである。
建築の意匠は、生活感や民族感と深く繋がっていた。
それは固有の美しさの表現であるだけでなく、
特定の意匠に結びついた生活実感・表象的意味をもたらすものであった。
そのような時代の建築意匠を、ここで広い意味での「様式」と呼びたい。
この「様式」は、単にヨーロッパの建築様式を指すだけでなく、
過去において多くの地域、時代、文化に現れた土着の建築への
「なじみ」のようなものを全て表している。
「様式」には、人々と共に育った経緯があってそれが人々の意識の中に生きている。
様式というのは、人々の生活の心が預けられるものである事と、
そして意匠的に優れている事、この2つの統合であった。
ゴシックの大伽藍を引き合いに出すまでもなく、
一つの様式が生き生きしていた時代には、建築上の傑作が生まれている。
先に述べたように、ここで言う「様式」の生きていた時代とは、
人々が各々の建築意匠に生活実感・表象的意味を込めることが出来た時代である。
例えば「床の間」というのはそれ自体簡素で美しい形をしているが、
床の間が人々にとって重要だったのは、
床の間が歴史的に担っている意味(表象的意味)がそこにあったからである。
だから逆に江戸時代には町人が勝手に床の間を作らないよう規制があったし、
戦後、床の間廃止を謳った人達が居たが、床の間は別の形に変化するなどして消えなかった。
ヨーロッパの建築様式史をひも解いてみると、
ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックなどの様式時代が並んでいるが、
ある新しい様式が生まれるときは、
人々の生活意識や意匠にかけていた表象的意味が必ず次の様式に時間をかけて引き継がれ、
また新たに生まれたりしている。
次の様式もまた人々が安心して心を預けられる形態であった訳である。
古代ギリシャ神殿が木造から石造(石+木)に代わるのに数百年かかっているが、
これも実にゆっくりした意味の引き継がれがあったと言える。
逆に言って、このような円滑な移行(意味の引き継がれ)が出来た場合にしか、
新たな様式は生まれなかったと言えるのではないか(注1)。
いずれにせよ、
このように意匠が人々の生活意識と繋がった時代精神的な生きた表象であったことが、
力強い建築を生み得た時代の背景にあったと私は考えている。
-
注1:建築意匠の表象的意味が、
新しい形態に引き継がれようとして立ち消えになった例がある。
明治初頭の擬洋風建築である。
また、ある形態が他民族にとって急に意味深さを持った例として、
古代ローマのギリシャ征服によるオーダーの継承や、
イタリアルネサンスのフランス等への伝播があげられる。
但し、古代ギリシャ人にとってオーダーとは建築原理そのものだったのに対し、
古代ローマ人はオーダーを「貼り付ければ良いもの」すなわちスタイルとして受取り、
アーチなどと組みあわせて著しく異なる建築を作った。
このように何か意味が継承されるにしても、
民族間では異なった理解が生まれ、変形が起こるので興味深い。
日本の擬洋風建築の意匠もその意味で大変興味深いものがある。
本稿の立場からすれば、
西洋の建築評論は作家個人の意匠上の選択・工夫に重きを置きすぎて、
背景となる建築語彙や表象的なものの集団的意味合いについては殆ど触れていない。
これは片寄った見方である。
また注意として、昔を賛美するのが私の狙いではない。
私は単に、現代には乏しくて過去にはあったものが何であったのか、
振り返ってみたかったのだ。
さてでは現代はどうい時代だろうか。
過去において建築は様式を通じて人々の生活意識との繋がりがあったのに、
近代建築はそれを断ち切ろうとした。
個人的独創を強調し、特定の生活実感・表象的意味に結びついていた意匠を無視した。
「国際様式」すなわち最も土着でないものによって、
人々は建築から疎外された。
あたかもそうする事で建築の一人立ちが出来ると言わんばっかりであった。
土着の様式が豊かに持っていた生活実感・表象的意味は失われた(注2)。
-
注2:近代モダニズム運動は、それ以前の様式の変遷とは決定的に違っていた。
個人の創造力の重視と独自の美学的追及ばかり先行し、
それ以前の建築に対し人々が持っていた生活実感や表象的意味が継続しなかった。
コルビュジェも人々の生活実感に言及はしたのだが、
それは合理性から帰結された観念的なものにすぎなかった。
更に決定的なことに、近代モダニスト達はそれまでの歴史主義・折衷主義からの「断絶」を謳い、
それを自らの運動の前提に据えた。
この背景には、建築材料のあまりに急な変遷があった。
19世紀から20世紀にかけて、石と煉瓦だった建築が、
一挙に鉄とガラスとコンクリートにとって代わられた。
あまりに材料の変化が激しかった為に、
技術者や建築家はそれまでの建築方式を何らかの形で引き継ぐという事が出来ず、
建築の作り方を一から考え直さねばならなかった。
その為には19世紀後半にヒントとなるような意匠的な萌芽が幾つかあったのだが、
とにかくそれまでの様式とは一旦そこで縁が切れたのであった。
新しい素材を使って構造合理的な建築を作ろうとするあまり、
建築家は過去から断絶した。モダニスト達は過去を引き継ぐどころか、
過去から断絶した全く新しい考え方を「建築的正義」として喧伝したのである。
人々の中で生きていた建築的表象は省みられず、
新しい時代の息吹だけが堂々と承認されるものとなった。
個人の独創性だけが称揚され、
あたかもそうすれば建築の独り立ちが出来るとでも言わんばかりであった。
さてここで、私が力強い建築が生まれる条件だと思うものを整理してみよう。
様式による意匠は、生活に対して大きな<内容>を持っていた。
人々は建築に休らう事ができた。人々は建築に何かを<見ていた>のである。
無意識のうちに、あまりにも当然の生活の一こまとして深い意味を建築から受け取っていた。
その内容が濃厚な程、建築と人々の結びつきが強かったと言える。
人々は建築の意匠に特殊な感性を抱いていたとも言える。
また言い換えれば、人々が建築に何かを強く投影していた状態とも言える。
人々の投影 → 建築
ところで、近代に住んでいる我々は
「芸術は個人の創作力が作るものだ」というバウハウス的なドグマを叩き込まれていて、
作家が感動する形態を作れば人々が喜んでくれると、そう思っている。
作家 → 作品(建築) → 人々
このような考え方からは、作家→人々の一方通行しか見えてこない。
全ては建築家の技量次第という事になってしまう。
しかし実際には、人々はその感性のあり方を通じて、
力強い建築が現出する事を助けていた。
人々に訴える時代共通の建築言語があって、
その<力>を建築家も人々も共有していた。これは言い換えれば、
人々の側の条件‥→‥作品という、上と逆の通行(経路)があったという事ではなかろうか。
人々の側の(意識・感性上の)条件 ‥→‥ (建築家) ‥→‥ 作品
人々の側からの、建築に対する心的態度(投影)が、
建築を力強くする上での条件だったのだ。20世紀後半の我々には、
建築に投影する内容がない。全くない訳ではないが、
それは前世紀から引き継いできた習慣的な建築言語の残骸が残っているようなものである
(例えば「立派な門構えの家が欲しい」とか。この事については5章の冒頭で再び論じる)。
様式が生きていた時代を研究するとはどういう事か?。
それは様式と共に生きるその時代の人々の感性に研究者が身を置いて、
当時の人々が見たであろうものを報告する事だと思う。
ここで現象学的なアプローチが重要になるのではないだろうか。
「人々の生活感や民族感と深く繋がっている建築」
として人々の意識の中に浮かび上がるもの(ノエマ)がある。
研究者もそれを疑似体験するのである。
その対象によって研究者自身の中に意味が与えられる、
その与えられ方に自ら問いかけ、意識に原的に与えられる内容の観てとりを行う。
意識は実験材料である。
そこで起こる反応をドクサや推論を含まずありのまま観てとる
(即ち志向性を分析する)事が必要である。
研究者が建築意匠に関わる意識への原的な与えられ方を観て、
様式の生きていた過去を振り返ってそこに「形相的還元」を施す。
現在の私は様式の生きていた時代を深く考証したわけではないので、
いま述べた「観てとり」をする立場には本来ない。
にもかかわらず、このテーマに約一年沈潜してみた結果、
以下のことを感じるようになった。
実はその内容の一部は2章3章でも触れていたのだが、
ここでもう一度整理してみよう。
「様式」と言ったが、それは広い意味では一つの「時代精神」と関わっている。
ある感慨に到る無形の道筋(精神的なもの)を同時代の人が共有していた、
そういう時代というものがある。そういう時代において、
その共有されていた精神的なものへの認識を「時代精神」と呼ぶ事にする。
「時代精神」を通じて、人はより深く生きる可能性を見つけることが出来た。
そのような可能性を思い起こさせる意匠的表象や行為的表象が沢山あった。
意味深さが生じるその<かたち>をここでは「人々に感慨をもたらす経路(感慨に到る経路)」
と呼ぶ事にする。ゴシックの有名な建築は、
人々がそれを見て感慨を持つ為の「経路」を持っていた。
そしてその「経路」は、後代の人にとっても何となく感じる事ができるものである。
従って、現代の人が力強いゴシック建築を見ても、
何となくその力強さを感じる事ができる。
シトー派の修道院を見ても、ある程度建築に明るい人であれば、
当時の人が持っていたであろうのと似たような「感慨の経路」を見出すことが出来る
(注3)。
民衆を巻き込んで長い年月と共に感動の構図を作った歴史的様式には、
それなりの感慨の経路が伴うようになるのである(注4)。
-
注3:勿論ここで、過去の感動の仕方と全く別の「新鮮な見方」もあるかもしれない。
それがあっても、本論の主張には変りがない。
「過去の感動の仕方と同じものを感じる事はありえない」
「一人ひとり感じ方は必ず異なる」といった反論もあるかもしれないが、
ある<経路>の存在が現象的に(現象学的に)見出しうるのではないか、
という事をここでは言っているのである。
注4:本論では、階級制度や支配構造については全て捨象している。
では「様式」とは何か、それは形として顕れた感慨へ到る経路のかたちである。
あるいは様式とは<時代の合意>の徴である。
同時代の人々が、ある意味深さに関して<合意>を持っていたということの、証しである。
そしてその合意は経路を通じて感じられる。
様式とは(それを見て)ある感慨に到るための無形的・精神的な経路とセットで
生まれていたものである。
この「経路」という概念の発見こそが、
現象学的アプローチを試行した結果として私が手にしたものである。
一方、様式の狭間のような、方向性の無い現代のような時代には、
そんな深みに達するような経路=デバイス(時代が用意するデバイス)がそう易々と見つからない。
だから結局、深い建築も作りえない。このように様式の時代の諸相を調べる事で、
私は現代をあぶり出す事が可能ではないかと思っている。
人々の側の条件‥→‥作品という経路の不在、或は人々の側のネガティブな条件が、
この時代を如何に彩っているかよく分かるであろう。
さてでは、今までの準備を使って現代を考察してみよう。
現代の建築の行き詰まりは単に表現する側(建築家)だけの問題ではない。
意味深い建築が生まれるかどうか知りたければ、
建築家の側ではなく人々の感性や時代の意味深さを調べなければならない。
しかるにいま、人々の感性は紛糾し、そして建築家と人々(一般人)の感性は乖離してしまっている。
人々の感性の紛糾という事について、ここでひとつ卑近な例を挙げよう。
大学で或る教官がこんな話をした:
-
ある男がプレハブっぽいローコスト住宅を建てた。
建築家はそれに見合うように現代的な軽い表現の簡素なアプローチ(門構え)を提案し、
男も最初はそれに同意していた。
しかし住み始めてからその男は、どうしてもそれが気に入らなくなり、
伝統的な庄屋や昔の高級な建物に見られる立派な木造の門構えに換えてしまった。
それだけで多分800万円はしただろう。中味がプレハブ的なせいぜい2000万円の家で、
どう見てもチンドン屋でおかしいが、その人はそれで満足した。
この話をした教官は、一般的な施主のデザインセンスの無さを嘆く為にこの話をしたのだが、
私にはこの男がどうしてもバカにできない。
「立派な門構え」というのは、過去の「様式」の脈絡の中では、
それなりの重要な役割をもっていた、立派な建築言語である。
問題は、現代という時代においては様式の脈絡あるいはフレームが解体され無くなっている事だ。
くだんの男の頭の中でも、もはや統合されたフレームは無く、
てんでバラバラにフレームの断片だったものが単独で命脈を保っていて、
「立派な門が欲しい・・」とただそれだけ念じていたのだ。
このように現代人の頭の中には昔様式のフレームとともに生きていた建築言語がその命脈を断たれ、
断片化した名残として生き残っている。そして現代的要求と絡まって、
ゴチャまぜの様相を呈している。彼らは歴史的に意味深かったものが強制解体された、
その犠牲者とも言えるのである。
では、このような人々(一般人)の感性に対し、
建築家はどのような態度を取っているのであろうか。
「十宅論」という本で施主(一般人)の感性のあり方をシニカルに分析した隈研吾は、
新建築2000年8月号で「デマンド側(一般大衆)が強くなったので、
建築家は『負け』をうまく演出しなければならない」と書いている(注5)。
ここには色々な議論が含まれているにせよ、
建築家がそれを「負け」と表現しなければならないという事は、
そもそも結局のところ、
一般大衆の感性と建築界の感性が如何に共通性を失ってしまっているかを物語っている。
新建築2000年12月号において青木淳は「いかに形式から自由になるか」
を語っているが(注6)、それは上の段落で述べたように、
一般人(施主側)の感性が紛糾してしまっているからだ。
上でフレームと述べているものの具体的側面がここで言う形式である。
青木淳は紛糾した施主側の頭に盲目的に従う事に何の意義も感じていない。
彼が形式という言葉を使うとき、それは「近代の始めに死んだ筈の残り香、
断片を更に徹底粉砕する」という様な意味あいを持っているように思われる。
-
注5:「負けるが勝ち/形式対自由のゆく末」、新建築2000年8月号
注6:「リノベーション−形式と自由」、新建築2000年12月号
それに比べ、様式が生きていた時代には、一般人と建築家は「生きた表象」
であったところの<形式>により互いに媒介されていた。
建築家が作るものは即、一般人にとっても価値あるものだった。
過去の力強い建築は全て何らかの形式をひきずっていた。
形式とは、青木淳の言葉の使用法からすれば、
その時代における「感慨の経路」をかつて含んでいたものだし、
単に形態的な意味で「形式」と言った場合も、
それは「感慨の経路」と非常に深い結びつきを持ったものであった(注7)。
-
注7:このような、歴史的な過去にあったであろう「感慨」は、
主体の双数的な幻想であったり、非常に単純化された思い込みの自己満足、
或は生活に仕組まれた一種の条件反射に過ぎない(つまり価値はない)と見なす向きもあると思う。
しかし、ここでの議論の趣旨を思い起こして欲しい。
一般の人々の感慨から建築がそんなに離れて良いのか?。
一般人を置き去りにして建築が独自の生命を得ることなど出来るのか?。
ここではそういう問いかけをしているのである。
しかし、そのような媒介項は現代では解体されてしまった。
本論冒頭のプロローグで引用したように、
一般人にとって建築の意義深さを示すものはもう残っていないようだ。
建築家が勝手に意味深いと思うものと、
一般人が意味深いと(かろうじて)思うものとがすれ違い、
それでも一般人(施主)が自らの趣向を建築家に向かって要望するとき、
建築家にとってそれは自らを脅かす脅威でしかなかった。
もう「負け」の演出位しか残っていないという訳だ。
しかしそれでは建築家の存在意義(レーゾンデートル)は何であろうか。
ここまで一般人との接点を失って、建築に果たしてどれだけの意義が込められるというのか?。
「今という時代に建築を作るという事」の意義は、極めて曖昧化されている。
もっと言うと「建築とは何なのか?」という問いがあって、
その問いには誰も答えず、問いは中吊り状態のままなのである。
本論からすればこのような状況の背景には、
専門家が専門家の立場から意匠の問題を論じればそれで事足りるとする偏狭な
(バウハウス的な)建築家=創造者論がある。
これは、過去において人々の側の条件からこそ名作が生まれたという事実
(ここでの主張)を顧みない結果起きたものである。
本稿でいう「人々の側の条件」というのは、
受容美学で言われている事よりも更に強い受容側の役割・重要性を説くものである。
一昔前に、磯崎新が「我々には、もう表現するものが何もない」
という意味の事を言って波紋を呼んだ。
「何でも表現できる=何も表現するものがない」という状況が起こってしまって、
そのジレンマから建築界はまだ立ち直っていないように見える。
多くの建築家は、意匠を創造する建築家=創造者の立場からこの難問を解こうとしてきた。
しかし私は、人々の側の条件から建築へ向かう影響を考慮に入れないと、
この問題あるいは状況を明らかにすることは出来ないと考えている。
建築家と一般人の間を埋める方法は実は一つしかない(と思う)。
それは感慨への経路を通じて、両者が共に同じものへの表現を志向する事である。
これが、表現すべきものを見つける殆ど唯一の方法であると思う。
「人々」の側の状況を明らかにした上で、現代でも人々と建築家の<共作・合作>は可能か?、
それを可能にする時代の意義深さは生じ得るのか?、
と問うのである。そんな事が果たして可能かどうかが問題になるであろうが、
しかし議論がどう転ぶにしても、
まずもって「人々の側の条件」に対する突き詰めがもっと必要だというのが、
本論の主張である。
そしてその為には過去において人々の感性や意識が建築にどう力を及ぼしたか、
過去の分析も重要になる筈だ。
最後に、今述べたような時代の意義深さが実は全く別の形で到来しつつあるとする主張を紹介する。
R・コールハースは1990年代に入ってから「ジェネリック・シティ」論を展開している
(注8)。
彼は世界の大都市がジェネリックとしか言い様のない無性格なものになりつつあると言うのだが、
言わんとしている事は次の通りだ。
そのような都市を理解するには、今までの価値観を全て水に流して(let goして)、
新しい感性がいま生まれつつあるその胎動に身を委ねなくてはならない、という事である。
そして今既に、日本でもジェネリック・シティ論に呼応するかの様に、
新しい感性の若者が育ちつつある。
今まで疎外の温床のように言われてきた郊外住宅に郷愁を感じる新しい20代の世代が育ちつつある。
若者の感性はもう既に「ジェネリック」である。
新しい感性の胎動は、
それを通じて新しい時代の意義深さが人々に共有される可能性を表わしている。
-
注8:コールハース自身の典拠は把握していないのだが、
例えば"Rem Koolhaas' Generic City"
などにその解説的評論がある。
こんな事を、本気で信じて良いのだろうか。
過去の固有の歴史や伝統に何の願慮もないコールハースの考え方には、反発も当然起きている。
また個食、ケータイ化、と家族の空疎化を突き進む現代の家族的世相に彼の考えを応用して
「これこそ新しい価値観だ」などと言うのは、
およそ受け入れ難い議論にみえる。
しかし、そういう予想もしなかった所が、
新しい時代の<合意>への突破口になってゆく可能性もあるには違いなくて、
コールハースは、いわばそういう側面(積極面)しか見ていないのだ。
モダニズム的な住棟間のスペースは、
有効利用されない空疎な空間だと言われ続けてきたけれども、
あの空間こそが思い出深く親しみを感じる空間だとする価値観の転換が、
若い世代にはもう起こりつつあるように見える。
果たしてそれをそのまま、コールハースの言う額面通りに受け取って良いものかどうか、
我々の前にはまたしても難問が待ち受けている。
私は、現代においてなぜ力強い建築が作れないのか?、という問いから出発して、
様式の生きていたい時代について考察し、
その考察との比較を通じて現代の状況の分析を試みた。
現代では本論で述べたような「感慨のへの経路」が乏しいばかりでなく、
人々の側から建築へと向かう思い入れを建築家が願慮しようとしない実態の一端を示した。
私は一般の人々を無視した「建築の一人立ち」は不可能だと言いたい。
では現代なりの新たな様式なり感慨の経路への「とっかかり」はあるのだろうか。
それは過去の時代において感慨の経路がどう形成されたかなどの考証を行い、
それとの比較において現代を更に詳しく見てみないと分からない。
しかしコールハースの考えは、
全く意外なところから新たな時代の息吹が始まる可能性も示唆している。
最後に本稿で議論されていない問題に触れる。
3章で、人々の側の(意識・感性上の)条件が作品を生む条件となっている事を書いたが、
建築家もまた「人々」の一員である事に変わりはない。
5章において現代では「人々の側の条件」が崩れているように書いたが、
建築家も亦人々の一員であり、崩れた条件なるものを背負っている事に変わりがない。
その事の意味をもっと追及できれば、更に深みのある議論が出来たかもしれない。
また、2章で土着の材料や構造技術から生まれた建築が、
人々の生活の心が預けられるものであると述べた。
しかし元々その土地・時代固有の建築方法と人々の意識には何の関係も無い筈である。
ロマネスクの重々しい壁構造と、当時の修道院の人々の思いが一致したのはなぜだったのだろうか。
多くの土着の住居の建て方に対する住民の親近感はなぜ生まれたのか。
つまり、そこには何らかの、マテリアルと精神を架橋するプロセスが想定されなければならない。
建築に「意識が住み着く」という現象が、
その当初において想定されなければならない。
コールハースがジェネリックシティ論で述べていることは、
人々の意識がモダニズム建築にやっと住み着き始めたという事なのかもしれない。
これは半信半疑なのだが、とりあえず筋道を整理するとそういう事になる。
本稿(原稿部分)の著作権は、全て本HP管理者に帰属します。
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